受験勉強をしていると本が読みたくなる?

前回の投稿から大分時間がたってしまったがこのままブログを放置するのも良くないと思ったし、いろいろ考えることがあったので久しぶりに記事を書いてみようと思う。

そもそも、何故ここまで3ヶ月近く更新しなかった(or できなかったか)というと、他大の大学院に進学するために勉強していたからである。 一般的に大学院は8月ごろに入学試験を行い、内部進学の人は1,2ヶ月前ぐらい、外部の人はさらに1,2ヶ月ぐらい前から勉強し始めるようだが(ネットで得た情報をもとに推測した)、自分の場合は1月の大学の試験期間が終わってから、勉強を始めた。 これほど早めに勉強を始めたのは専攻が全く異なるからである。生命系から情報系に移るのだ。自分の大学では生命系というのは理系の中でも特殊であると感じている。学校では情報系やその他、理学・工学部の人たちが微分積分線形代数を1年次に学ぶ中、数学は統計的手法の道具として少し扱われるだけでほとんど教育が行われていない。その間、専門科目ではDNAやタンパク質といった分子生物学などを勉強し、学生実験があり、外国語を学ぶ。その後、生命系では植物・動物・微生物など興味に応じて専門科目を選んで履修していく。つまり、大学教育において生命系と情報系では基礎としている学問が全く違うのである。もちろん、中には数学を基礎科目としている生命系の学部・学科もあるだろうが少なくとも自分の所属している学科では違うのだ。このことの是非については大いに議論の余地があると考えているが、ここで言いたいのは去年の自分が情報系の大学院に進むのは高校生または浪人生が大学受験を前にして理転するぐらい大変なことだということだ。 何故、情報系に専攻を変えようとしたかなどの理由は後でまとめてみようと思う。とにかく今は切羽詰まっているし、必死に勉強している。 これで、ブログ更新を放置していた理由は書いた。

院試の受験勉強とは孤独なもので、そのせいなのか勉強の合間によく考え事をする。その内容は哲学的なことが多いように思う。哲学的だといってもそんな小難しいことではなく、「自分はどうして今のような性格になったのだろうか?」や、「これからの人生どのように生きていけばいいのか?」、「中高生のとき○○をしてればよかった。いや、今そんなこと考えたって無駄だ!」といったことだ。大学1,2年の頃はそのようなことはあまり考えていなかったが、進学や就職といった進路の分かれ目に近づいてきたこともその原因にあるように思う。 最近ではそのような思慮がさらに進んで「どうしたら、これらの疑問に答えを見つけられるだろうか?」と考えるようになった。そこで自分なりに出した答えは「本を読めばいいんじゃないか」ということだ。自分のように悶々と考え事をしていた人(それも頭のいい人)がどのように答えを出したのか知りたいのだ。ここ数年読んだ本はたまに小説を読むぐらいでほとんどが専門書や教科書だった。読書体力はあまりないが、人生の疑問対する答えを探すため本を読もうと思う。

この文章を書くのに1時間近くかかってしまった。貴重な勉強時間を犠牲にすることで、自分の文章力の低さを再確認できた。当分、技術系の記事は書けないだろう。最近アクセス数が増えてきているが。